【コラム】理学療法士 保坂広 「生まれ変わっても理学療法士になりたい」|江戸川区・足立区・葛飾区・大田区で訪問看護・訪問リハビリをお探しならぱれっと訪問看護リハビリステーションへお任せください。

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「生まれ変わっても理学療法士になりたい」
野球少年が追いかけた夢のゆくえ
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保坂 広 / Hiroshi Hosaka
1981年、東京都江戸川区生まれ。
小学校から約10年間、野球に打ち込み甲子園出場を果たす。
大学を中退し、24歳で理学療法士に。
PTとして大学病院で3年、整形外科クリニックで4年経験を積む。
34歳で認定理学療法士を取得。
2012年、31歳のときに訪問看護ステーションを立ち上げる。
2015年、居宅介護支援事業所・訪問介護ステーションを買収
2018年、一部上場企業の子会社に株式譲渡
2020年、ぱれっとを立ち上げる。ゼネラルマネジャーに就任。
好きな花はひまわり。
好きな小説家は東野圭吾。
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訪問リハビリのお客様への訪問後、「じゃ、始めましょうか!」とポンと軽快に肩をたたかれ笑顔を浮かべる姿が印象的な保坂さん。
以前お会いした際に「生まれ変わったらまた理学療法士になりたい」と言っていたのが印象に残る。
まずはPTになったきっかけから聞いてみた。(文:Naohiro・k 写真:Takumi・K)
野球漬けだった中高時代、理学療法士になると決める
野球漬けだった中高時代、理学療法士になると決める
小学校時代は学級委員、部活ではキャプテンと昔からリーダーの役割を果たすことが自然だった、と言う保坂さん。
スリムだが身長180センチは超える大柄な風貌とさわやかな笑顔は、誰もが頼りたくなるのはわかる。
昔から友達が多く、今でも高校時代の野球部の同窓会は毎年4、50名規模で集まる定例行事の一つになっている。
「昔から人から頼られるのはうれしかった」

そんな保坂さんが理学療法士になろうと思ったのは13歳のときだった。
当時、小学校3年から高校3年まで約10年間、野球漬けの毎日を送っていた。
たびたび練習で肩を痛めたときに通っていた整形外科クリニックの理学療法士が、
身体だけでなく、気持ちに寄り添って励ましてもらったことがきっかけで理学療法士になりたいと思ったという。
高校では360日練習、年間150試合出場というハードな練習の甲斐あり、甲子園出場という好機にも恵まれた。

それだけ野球漬けの毎日を送っていたので、もちろん勉強する時間もなく、1年の浪人生活へ。
憧れの理学療法士を目指し、リハビリ大学を受験するも受験の壁にはじかれ、やむなく経済学部に進学。
大学の学費を払ってくれた親への申し訳ない気持ちもあり、アルバイトで100万円貯め、学費を返済し、晴れてリハビリ専門学校に進学。

学校に通いながらバイトで100万円貯めるって、なかなかハードですよね?
「家が経済的に余裕があるわけではなかったので、親に負担をかけてまで自分の意志を貫き通すのであれば、けじめをつけないといけないと思って」
専門学校の費用も奨学金を借りて、9年かけて学費の返済が完了した。
言葉だけでなく、行動で表すところからも、実行力の強さが見える。
生まれ変わっても理学療法士になりたい
専門学校を卒業して、大学病院で3年間働いた。

「大学病院での勤務時代、患者さんが回復して家に帰る姿を見るのが大好きだったんです」と語る保坂さんは、生まれながらの理学療法士だ。
「生まれ変わってもまた理学療法士になりたい」という想いに気づけた大学病院時代に療法士としての原点がある。

「就職して3ヶ月目に、なんで患者さんがリハビリ室にいるんだろう?根本の原因は何なんだろう?って真剣に考えました。
考えた結果、死因の多くの割合を占める脳卒中と心疾患の原因を多く占めるのは、8割がた肥満とストレスなのでは?
という答えにたどりついたんです。
どうしたらストレスを減らせるだろう?
好きな人と好きな仕事をすればストレスはたまらない。
であれば、自分で好きな人と組織を作り、自分が好きなことをやって起業しよう!
じゃあ、自分の資格を活かして起業するには何がいいんだろう?」

こうして、社会人3ヶ月目にして経済的にも健康的にも質の高い生活をするための人生の指針が固まった。

”シンプル”かつ”合理的”
そんな言葉が保坂さんには似合っている。
「期限は決めていなかったですが、このとき、いつか自分で起業しようと決めました。
やると決めたからには、療法士として勉強して実力をつけるのみと方向性が固まりました」

起業すると決めてから、自己啓発や、経済に関する本、小説まで年間100冊、5年目まで500冊は読んだと言う。
やると決めてからの行動量は、野球の練習により培われたものだろうかとつい想像してしまう。

療法士としての原点に気づいた大学病院時代。
なぜ、大学病院を離れようと思ったのか?

「大学病院は治療が目的ではなく、研究・教育をするところだから、一人が1日20分しかリハビリができないので、施設の特徴上、流れ作業のようなリハビリになってしまって。それで本当に患者さんが良くなっているのか疑問が拭えなかった。
ある時期、1週間に自分の患者が同時に複数亡くなったときはかなりしんどかったけど、やっぱり患者さんの病気が治って、家に歩いて帰る姿を見るのはほんとに好きだった。」

経験を積むうち、リハビリに関する方針が組織と異なり、自然と出る杭のような立場になってしまったのもやむなく、退職することに決めた。

大学病院をやめた後は整形外科クリニックに転職。
外来で慣れた後は、デイケアと訪問看護の2部門を担当することに。
「当時、異業種からの参入もあり、デイサービスが乱立していた時代でした。
デイサービスの場合、利用者は雨が降るとすぐに休みます。
経営的に考えると、売り上げが不安定になってしまうなと。
また、当時盛り上がりを見せていたAmazonのビジネスモデルもヒントになりました。
これからの時代、お客は家で待っているだけのデリバリーが当たり前になる。
訪問看護であれば天候に左右されない。このとき、起業するなら訪問看護でと決めました」
念願の起業、その後の苦労
訪問看護での起業を決意してから、ちょうど知人が代替わりのタイミングで整形外科クリニックの院長に就任するタイミングで
デイケアと訪問看護、両方の事業形態の経験が積めるということでクリニックに転職。
両部門兼任で4年間経験を積んだ。

起業を決意してから7年後、すべての準備が整い31歳のときにゆたか訪問看護ステーションを開設・起業。
「起業してから心がけていたことは、とにかく自信を持つこと。
はたから見たら、ただ過信しているだけに見えるかもしれないが、
僕についてくるスタッフのことを考えると、自分に暗示をかけ続けるのは必要なことでした。」

第三者から見ても堅調に経営を行っているように見えるが、
訪問看護ステーションの運営の秘訣について聞くと、スタッフの定着率と新規利用者の獲得に尽きると言う。

「経験から言って、社長が全力で訪問の現場に出ると月商100万円は上がるが、長い目で見たら、目先の利益を追いかけるのは危ない。
訪問しているスタッフの患者フォローもしないと後々トラブルが増える原因にもなる。
社長がやるべきことは、スタッフの仕事を獲得してくることだから」

今ではこう断言できるが、ステーションの立ち上げ当初はスタッフに任せきれずに自分が一線で動いてしまい、失敗した経験もあったそうだ。

起業してから3年くらい経ったころ、それまではひたすら訪問に周り、高い売り上げを維持しながらスタッフを管理する毎日が続いた。
当時のステーション管理者から管理を自分たちに任せてもらえないかと言われた。
「内心、嬉しさ半分、寂しさ半分というのが本音ではあったが、スタッフに任せてみることにした。
実際にいざ任せてみると、スタッフの定着率は良くなり、任せてみてやっと自分の未熟さに気づけた。
それからは、現場のことはスタッフに全部任せ、自分はミスが起こる前にフォローするというように動きを変えました」

プレイングマネージャーから動き方をシフトされ、今では現場はほぼ他の管理者に任せ、
採用と新規利用者の集客と自分はスタッフが働きやすいような環境をつくることに専念している。

経営者としてのやりがいについて「部下の成功はうれしい」と答える保坂さんは、いまや立派な経営者としての風格をまとっている。

今では経営者として事務所にいることも多い保坂さんだが、一療法士としても、週に3〜4時間ほど固定客のリハビリに訪問している。
事業所へのリハビリの依頼は、ほとんどが口コミでくる。
その理由を聞いてみた。
「圧倒的に他のリハビリより筋トレの量と歩行訓練の量が多いんです。
他の患者が元気になっている療法士のリハビリを見ていると、運動量が多い。
さらに、自主トレとして運動を習慣にしてもらっています。」
名付けて「保坂式攻めのリハビリ」だそうだ。

保坂広A

「これまでの経験で、患者さんを見れば今どのくらいの力を出しているのかわかる。
あとは患者にどういう風に声掛けして運動してもらうか、それだけです」
実際に利用者さんからは、「保坂さんのリハビリは厳しいよね」と言われるが、
「良くなるためには必要なんです」と、人間関係を築きながらも冗談ぽくリハビリの自主トレーニングをしてもらえるよう促している。
毎回のリハビリでは「どうですか?できてますか?」と相手がプレッシャーに感じないように軽い感じでコミュニケーションをとっていると言う。

実際よくある話として、ほどほどのリハビリを行い、継続的に契約してもらうことで経営的には収益が安定する。こういったやり方が一般的ではないだろうか。

そんな中、保坂さんはこう断言する。
「リハビリの期間は短ければ短いほどいい。患者さんもそう思ってるからうちは新規の利用者さんが絶えないんです」

リハビリのおかげでどんどん元気になり、最終的に利用者さんから
「あなたのおかげで良くなった」
「保坂さんのおかげで歩けるようになった」
と言われるのは「最高に嬉しいっすよ」と涼し気に笑う保坂さんの顔が印象的だった。

一方で辛いこともある。
かねてからずっと自宅で暮らしていきたいと言っていたが、事情もあり施設に行かざるを得なくなった方や、日常生活のなかで転倒されてしまったり、仕方ないとは言え、利用者さんの意向に沿わない事態になってしまうと、
「もっとリハビリでできることがあったのでは?」
「福祉用具を使って何かできたのでは?」と一療法士として思い悩むこともあるそう。

今度はケアマネさんから見た保坂さんがどんな人か聞いてみた。
「返事が速い、何か頼んだらすぐに対応してくれると思われている」
実際に「今日これから来れる?」と突然依頼があるのは日常茶飯事。
いつ呼ばれてもいいように、シフトは固定の利用者への訪問以外はあえて空けるようにしている。
「外部とのやり取りをスムーズにすること以外にも、自分が事務所にいることで、スタッフにも程よい緊張感を与えることができていると思います。
特に夕方とかはダレちゃいますしね(笑)傍にいることでスタッフに安心感を与えるのもリーダーの大事な役目だと思ってます」

もとから人との関係づくりは得意な方ではあったが、そこからさらに発展させ、「人と人とを結びつけて新たなビジネスに発展させるのが自分の得意技であり、トップとしての役目だ」と断言する。
2度のM&Aを経験
昔から数字に強かった保坂さん。小学校のときは都内のそろばん大会で2位という暗算の強者だ。
これまで買収と売却の経験をしているが、それぞれの背景について聞いてみた。
「買収については、お世話になっていたケアマネジャー経営者さんから、経営が立ち行かなくなってしまった、会社を買収してもらえないか?という相談があり、赤字会社ではあったが訪問看護とのシナジー効果を見込んで買い取りました。
売却については、当時管理者の採用に苦戦していたこともあり、たまたま大手企業とタイミングが合い、株式譲渡することに決めました」

自分の会社を手放すというのは非常に決断が重いことだが、こうした大事な決断をするときの軸は、「利用者さんを守れるか」そのことに尽きるという。
常に自分の価値観が明確なので、自分の目標に向かってぶれずに向かっていけるのだろう。

そうして、大手企業グループの福祉用具レンタル卸をメイン事業とする企業で約1年間、6年ぶりに経営者以外の立場で働くことに。
新しい立場で新しい職場へ入られたときの気持ちはどうでしたか?
「俺が会社をよくしてやる、という気持ちは変わらなかったですよ」
立場が人をつくる、と言うが、保坂さんの言葉を聞いていると、何をやるにしても最終的に結果を左右するのは本人の意志ではないかと思う。

転職先の会社では、それまで自身の2度のM&A経験もあり、訪問看護ステーションの戦略部門長に就任し、主に訪問看護ステーションのM&Aに携わった。

「以前とは違う立場といえ、実際に訪問看護ステーションの運営を目にすると、スタッフと企業側双方にとってwin-winになるような運営方法など
頭の中では(自分だったらこうするのに・・)と考えが自然に巡るが、口をはさむことができず、歯がゆい思いも味わった。
単純に自分で訪問したり、いい組織をつくることが楽しいと改めて思った。」

そんなとき、偶然にも現在のビジネスパートナーと出会い、互いのビジョンが一致し、2度目の起業を決意した。
2度目の起業、事業成功に欠かせないこと
転職した会社を辞める直前、ビジネスパートナーである甲斐さんも一緒に食事をする機会があった。
かねてから待ち望んでいた新規ビジネスの立ち上げ準備をということもあり、忙しそうではあったが、生き生きとしていたのを覚えている。
人は自分で決めたこと、やりたいことに向かっていくとき、本当に自分の生きている価値を発揮できているんだろうなと思う。

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食事の場での保坂さんは、仕事についての話を熱く語るというのでもなく、ずっと聞き役に徹するというのでもなく、初対面であった他のメンバーが気持ちよく話せるよう、ドリンクのお替りや時間を気にしていただいたりと、調整をしていただいていた。
案の定、スタッフや経営者仲間など相手は様々だが、これまでトータルで1000回以上、年間200日は食事会や飲み会などコミュニケーションの場をつくっているという。(コロナ禍前)

その機会は、ほとんどが仕事でのコミュニケーションだというのだから驚きだ。具体的には、採用だったり(以前の職場の仲間もファミレスで声をかけたりした方が入社したこともあるらしい)、ケアマネージャーという事業所間の間をやり取りする人から新規でお客を紹介いただいたり、経営者同士のつながりで新規ビジネスの話につながったり、など何かしら仕事の成果として先につながっている。

「まだ立ち上げたばかりではあるが、今後の事業のネタも徐々に仕込んでいる」とニヤリとする保坂さんに、今後の事業を通じてしたいことを聞いてみた。
「やはり一番は、一緒に苦労している仲間であるスタッフの給与を増やしたい」

この言葉からは、専門職として、自分についてきてくれた仲間に恩返しをしたいという思いと、経営者として、人とのつながりを通じて新たにビジネスをつくっていくことのが楽しいという思いが読み取れる。

会社のイメージフラワーであるひまわりは、保坂さんの好きな花だ。
「なんとなくですけど、上昇志向というか、ひまわりには上にうえに伸びていく力がある。」
ここにも保坂さんの事業に対する想いが表れている。
「スタッフや患者さん、関わる人がみなゆたかになりますように」

年相応にもいたずら好きな少年にも見える屈託のない笑顔で、保坂さんは今日も多くの人と仕事を通じた楽しみを満喫しているようだ。

ぱれっと保坂

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